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日常つらつら日記

気の向くまま綴りごと

読んだ本 自分を好きになりたい
わたなべぽん作

私、元々この作者は好きじゃないんです
自署を使って自分をいい人の位置に置いて、友達や知り合いを
相手が反論できないように上手に批判するから。
そういう狡賢さ、卑怯さが私は好きじゃない

なんか嫌な予感がするなーと思って
読んでみたけど、やっぱりいろいろ引っかかってしまった

かなり批判的な内容になるので
この作者やこの本を好きな人は読まない方がいいです



そもそも私はこの人の自己肯定感が低いとは
露ほども思いません
友達も多く(しかし本人は友達がいないと言う)
結婚もしている
自己肯定感が本当に低いなら
結婚できません
だって相手には自分よりも相応しい、もっといい人がいるから

でもこの男を捕まえたい、逃がしたくないと思って
結婚して掴まえるぐらいには強欲。
他の女と結婚するよりも
この人を幸せにできると思ってるってことでしょ?
自分には幸せになる権利があって
逃すもんか!と思って行動に起こすぐらいには積極的
この行動をできることが自己肯定感アリアリの証拠なんだよね

それは最初の部分ですでに出ていた
作者が思う
「自分を嫌いって思うって辛いなぁ」

ん?

このセリフ、自己肯定感が高いから言うんだよ
本当に低かったらそれが当たり前なので、セリフは
「生きることって辛いなぁ」(生きづらいなぁ)になる

自分を嫌いと思うのがなぜつらいの?
それは自分のことが”大好き”だからだ

それを冒頭で客観的に認めている
私は自分のことが大好きで大好きでたまらないから
そんな自分を嫌いと思ってしまうことがつらいって

このセリフはね、自己肯定感がちゃんとある人しか
口から出ませんよ

基本がまず違う
この設定ならば、この土台はおかしいね、
というわけで
あー、やっぱり嘘か、と
しょっぱなから白けた

つまりこれは、自己肯定感のある程度ある人が
本当に自己肯定感がない人を想定して
誰でも持っている自己肯定感がない部分を引き出して
(全方向100%OKの人はいないからね)
客観的に作ってる、と最初に明示している

本は読んでみると
まず印象に残ったのは
本に出てくる人がみんな口を揃えて言う
「ポンさんは優しくていい人」
そして本人が、そんなんじゃないですぅ~と否定する
ここで小さくモヤッ

これ書いてるの、あなただよね?

ユーチューバーの動画とかでも思うけど
駅に設置のピアノのを弾く動画なので、字幕で
「激うまピアノ」
「弾いてみたら観客騒然」
「周りの人を巻き込んで感動の嵐!」
とか煽りをつけてる人がいるけど
これ、君が作った動画で君が編集してるんだよね?と
突っ込みたくなる
動画を見て、観客はたいして感動していなくて
拍手がまばらにパチパチ程度なものが多いので
よく恥も外聞もなくそんな大仰な煽りを自分でつけられたな、と
鉄の心臓っぷりにある意味感心する

あなたは優しいと口を揃えて本人に言う場面も
自分にはこれらと同じに見える
他人が書くならともなく、自分が書くのは
人格的にいやらしいなぁと感じてしまうので

だって、私いい人なんですと自分で声高に言う人が
いい人だったことは経験上ほぼない
褒められたがっている出しゃばりな性格をアピールするものだとして
故意に作品の中でこれを使っているのなら正しいと思うけど
描き方として

自ら損をしてしまう自分
周りの優しさを素直に受け取る自分

の例として記載しているので
これを書いているのは無意識っぽい
多分本当にこの作者は人から褒められたい人なんだろうな

だから本人は否定してますアピールをくっつけたり
あーあ損した、とか、恥ずかしいとか思っている内面も載せて
ちゃんと読んだ人から非難が来ないようにうまく配置している

こういうところが
いつ見ても、計算高くて小賢しいなぁと感じてしまう
それらがあることで、自分を「いい人」の位置に留め置けるからね。
やっぱりちゃっかりしてるわ、この人、というのが印象

本当にいい人と周りが口を揃えて言う人は
周りを含んだエピソードで自分を描く時に
自分を奇行に走る変人みたいに落として描くことが多い

そういえば子供の頃、漫画家の似顔絵は
美人やハンサムな人はピカソや妖怪みたいな面白い絵に
そうではない人は美人やハンサムに描かれているのが通説だった
あれと似てる感じ


ところで、この人が言う母親の印象
「一見人当たりがよく世話好きでテキパキよく働く明るい人だが
時々ご近所と衝突するほど気が強い一面がある」

が、私がこの作者に持っていた印象そのままだったので
(明るく楽しいムードメーカーだが敵に回すと厄介)
なんだ、母親そっくりじゃないか
と思った


子供の頃は本人が「なくしものや忘れ物が多い問題児」というほど
弁当をしょっちゅう学校に忘れる子供だったということで
弁当って忘れるもの?
忘れたとしても年に数回だよね?と思ったので
全く理解できなかった

片付けできないとか
子供の頃の話を見る限りではADD?ADHD?なのかなと思える

「この頃の私はとにかくおっとりしていて」と本人は言うけど
痩せるまでは元汚部屋で90キロ台の人
当時すごく太っていて、部屋は汚く歯も磨かず虫歯だらけで
「私はおっとりしてる」と言ってもなぁ、と
それは言い訳にならないんじゃないかなと
やや微妙な気持ち

学校の机もぐちゃぐちゃ、常に物をなくし、宿題や提出物はやらず
持ち帰るべきものを持ち帰らないのでは
そりゃ親はイラっとするだろう

それで褒められなかった、褒めてと言っても、
褒めるところがない状態では少々難しいかと

あとずっと子供時代を普通のサイズに書いてるけど
過去の書籍を見る限り、
この人は子供の頃からふくよかだったはず

なぜ子供の頃をデブに描かない?
痩せたら自分が昔から細かった気になってる?
それとも高校卒業後一人暮らしまでは超スリム(高身長スリム系に見える)で
いきなり太ったのか?
と読んでいる方が混乱

母親もたんとお食べ、とごはんをよそう人だったし
随分自分を綺麗に描いている気がする
昔の本はちゃんと小さなころの自分を丸々とした姿に描いていた
気がするんだけど。
バイアスがひどいな、と思ってしまう

こういう本だと主観と客観をきちんと分けて
感情の部分は主観
状況は客観
と書かれている場合が多いんだけど
この人の場合は読んだ感覚的に逆のようで
話半分に聞いておかないと
主観で認識が歪んでいたり
盛っている部分がかなり多そう

なんか話も一貫してないと言うか
過去とのズレがあるし
読んでいる時にそういう小さな齟齬というか
昔の本人の発言との食い違いのような
「あれ?そうじゃなかったよね?」と思うことがいくつかあって
引っかかってしまい
この人は虚言癖なのかな、とちょっと心配してしまった


相変わらず食に関しては
手間暇かけてちゃんと作るのですごい

友達いないと言いつつ友達沢山で幼馴染ともいまだに縁があり
(いつも言う友達いない発言も友達からすれば失礼な話だ)
異様に近所の交流関係も多いし
人前は苦手~とか言いながらライブで歌を歌ってるし
夫は面倒な話も聞いてくれるいい人で
(しかも汚部屋で太ってた時からの付き合い)
愛されまくって今だってやりたい放題なんだから
好きに生きればいいのでは

綺麗に終わってるけど
盛ってるのか嘘の部分があるのか
なんか話が歪んでるような
変な本だった

作者のキャラクターとかみ合わない部分が多すぎて
読んでいると体が歪むような違和感がする

どうもしっくりこないなぁ
スッキリもしない
八方美人みたいにコロコロ発言を変えるから
言葉の深みがないのかな
一貫性のなさが気になる

話に齟齬があると
作者の人物像がわからなくなるんだよね
まだ二重人格とか虚言癖と言われた方がスッキリする
人物像がもわーんとしている人の話は
スッと頭に入らない

私は悪くない、あんなにダメダメ怒った親が悪い、
ダメな子でもあんな言い方をせず、愛情をかけられていたら
少しは自分のこと好きになれてマシな大人になっていたはず
というような内容が
読んでて二回ぐらい出てきたけど
確かにそうなんだろうけど
この人の場合はなんか同情しにくい

教師や祖父母からは目をかけられて優しくされていたし
最低限必要な自己肯定感はちゃっかり持ってるからかな

自己肯定感のない人が一番やらないことって
エッセイ漫画だと思うんだよね
日常の切り売り
肥大な自己肯定感、目立ちたがり、意見したがりの精神がないと難しい
やるとしてもや空想(創作)、歌、芝居など
何か別のものに頼ることが多い
でも日常エッセイって、売り物は「自分」だけ
よほど自分に自信がないとできない
または自分の生きてきた環境がネタになる自信がああるか
たいしたことがなくても自分が面白く調理できる自信があるか

ここでもすでに齟齬が出ている気がする
田房永子は一貫して毒親系(とそれにかかわる家族、子育て)を
メインに活動しているので違和感はないんだけど

この人の場合はわかる部分はあれど
うーんと言う気分になる


この毒親系って本人が書きたいと
言い出したものだったのかな?
出版社側の提案?

デビューが書店の話で
明るい日常系で売っていきたかったのなら
毒親物はあまりメリットには感じない
作者の家族にとっても
作者の生活にとっても
ペンネームを周りに知られていたら余計にそう思う

だってこれからは何を書いても
毒親にそだてられた人だと思われ
作者の母親は親戚や知り合いから
今後ずっと白い目で見られることになる

ぽんさんかわいそう、と思う純真な読者が多ければ多いほど
作者の母親の立場は・・・
こんなの、言わなくてもどうなるかわかってるよね

ダイエット物で名前が売れて
雑誌から取材を受ける立場になってからの、コレ
表現者として、これ以上の攻撃手段はないだろう
当然、親の肩身は狭くなる
こういう点でも、私は作者の狡さを感じる

名前も売れてきて
今売れるブーム的な内容だから
売れて金は入るだろうけど
毒親ブームだからっていっちょかみしなくてよかったんじゃないの?


心理的(虐待トラウマ)な内容に 
軽い気持ちで触られるのが好きじゃないので
かなり厳しい見方に鳴っているかもしれません

でも客観性を持てず自分かわいそうと
自分上げまくりでこういう本を出すぐらいなら
田房永子に全部任せとけと思う

田房は最初から親と全面戦争態勢だったのと比べて
この作者は今は普通にかかわりがあるようなので
孤独になった親と仲良くしたいのか
この本を通じて親に謝ってほしいのか
親に自分の痛みを理解させたかったのか
なにがしたいのか
正直よくわかんなかったです


世の中はほとんど絶賛だと思うけど
こういう意見もあるということで

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