"本"カテゴリーの記事一覧
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十二国記シリーズの最新刊
待ちかねていた作品
やっと読めました
なかなか本を読むことができなくなっている身には
結構辛かった
難しい漢字が多くルビも多い
あと書き方
こんな書き方してた人だっけ?
変な癖がついてるね
******
そう言ってから、
「しかし他は?」
すると〇〇が、
「×××××」
〇〇は
「××××」
**********
文がちゃんと終わらず、台詞を言う人の名前が出て
その人の台詞が続く
文が切れたまま新しい文が続いていくので、なんか尻切れトンボ感
読みにくい
でも余計な文を読む必要がなくて大半の人には便利なのか?
自分はちょっと落ち着かなかった
地に足がついてない感じがして心許なくなる
あとマンガみたいに視点がころころ変わる
行を開けて章を変えてから視点を変えるのは普通なんだけど
普通の文章で視点が変わっていく
マンガのように書きたいシーンに描きたい視点で
書くことが小説では難しいので
これをやったら楽だというのはわかる
やりたい気持ちもわかる
でもこれ、投稿の人がやったら「視点がふらついてます」
の一言で落選するような・・・・
大御所になると許されるの?
一巻の最初で視点のずれがでてきて面食らった
ん?
視点誰?
誰の話を読んでる?
さっきまではこの人の心の内を読んでいたような?
なんで今、会話相手であるこっちの人の心の声が聞こえるんだ?
視点スイッチした?
と少々混乱した
これで行くんだな、と思ったら読めるようになったけど
視点変更合図の改行が1行なので
それは視点が変わったな、とわかるんだけど
改行せずに視線スイッチしてるところも
いくつかある
内容を読んで思ったのは
十二国記は王になってからがみんな大変だなぁ、と
官吏は言うことを聞いてくれない
簒奪はある
やらなきゃいけないことは沢山
宮城(きゅうじょう。「みやぎ」にあらず。王の住む城)の中には敵が沢山
従うべき立場の者から慇懃無礼な態度で軽んじられていることは
今までもよく書かれていた
今回は結局王は山の奥深くに幽閉されていたが自力脱出
麒麟は角を折られて蓬莱(日本)に飛ばされ記憶を無くしていたが
助けられて十二国記の世界に戻れたので
国を助けるために戴に戻り潜伏
これでは埒が明かないと麒麟は堂々王宮に戻り
簒奪者を次の王だといい、王になる手続きをするために
前の王を禅譲(自らの意志で王の位から退くこと)させろと言う
それはどこかに幽閉されているであろう王を表に出させる名目なのだけど
自分が次の王に選ばれるのはあり得ないと気づいている簒奪者の思惑と
官吏たちの保身から来る行動と
城の中にいる妖魔とで状況はグチャグチャ
どうにか王と麒麟が会えて
味方もそれに加わって
国を取り戻しましたよ、よかったね、という話
大勢死んだけどね
国を良くしたいなら王はちゃんと王の位を自分の手元に
戻さなければならず
それには人同士が戦って血を流すしかない
やらないと自分達が殺されるし
それをやらない限り国は荒廃し続ける
どうあっても屍の上にしか王は立てないんだなーと
今更ながら納得
立場上仕方ない
驍宗が過去にやった「牧歌的な戦」はよかった
決して民に反撃してはならぬと命令されて
ひたすら民が疲弊するまで兵が殴られ続けるという戦い
兵卒は大変だっただろうけど
で、内容は良かったんだけど
気になる点が一つ
昔作者は大昔、十二国記の世界観について
王と麒麟の制度自体が過ちで最終的には王が不在で
民が力を合わせて生きるようになる、みたいな話になる予定と言っていた
陽子が天の力は非常にシステマチックだ、といっていた
シーンもあったはず
最終的には天の理を壊すという話だったはず
かなり昔のインタビューか何かで言っていた気がしたけど
月日がたちすぎてるから気が変わったのかな
それともそこを終着点として
この先もシリーズを続けていくつもりなのかな?
読者は嬉しいけど
作者的にはもうとっくに書く気を失っていたんじゃないだろうか
話的につながっている戴の話ですら
こんなに間が空いて
その間に屍鬼や別作品を書いていたんだから
売れる作品だから出版社から次を望まれているのかな?
とにかく、戴の話が終わってやっと一区切り
これでアニメの続編が作れるね
作ってくれるかな?
できれば声優に変更が出ないよう
早めに作ってほしい
待ってます
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面白かった
本が読めなくなっているので
少しずつ読んだけど、全部の章が破天荒
漫画家のヤマザキマリのエッセイ
ヤマザキマリは昔テレビで少し見て
普通っぽい人だけどちょっとキツイ物言いで
細身で綺麗な人だったけど
オタクっぽい機関銃みたいな喋りをする人の
イメージだった
イタリア語なら話してもソフトなのかもしれないけど
日本語だとキツイ物言い
強い人ってイメージの話し方
母親が札幌オーケストラのヴィオラ奏者なんて
初めて知ったし
曾祖父が貴族まがいの金持ち道楽男で
イタリア留学生を書生として下宿させていたというのも
初めて知った
母親がその後ヴィオラ奏者からヴァイオリンの先生に
なっているのは納得
ヴィオラじゃ人口が少ないもんね
破天荒な母親だけど
愛情深くて子供を頭から否定することは一切なく
いい人に育てられたんだなーと納得
母親が演奏家で友達が世界中にいて
各国に遊びに行ったり
演奏で海外に行ったり
娘である作者はフィレンチェで学生をしていたり
そこに、母親が新巻鮭一匹丸ごと持ってフィレンチェまで会いに行ったり
娘であるマリは留学に行ったのに
金を稼がない詩人と子供を作り未婚で帰国し
その後13歳年下の外人と子連れ再婚をして
もうなんていうかハチャメチャでグローバル
家計の中に結構すごいことをやった人がいると
すごいことが普通になっていて
違和感なくやってしまうということが書かれているけど
作者の祖父(母親の父)は昭和の時代にアメリカに仕事で行ってたり
音楽好きでLPを大量に集めていたり
当時はまだ珍しいベッド(元カノとの思い出付き)を和室に置いていたり
なかなかの人だから
作者の母親も、良家の子女なのに
世界中を飛び回る音楽家になったんだろうな
あの時代は戦争以外では
海外に行ったことない人も多いはず
でもこの人の家系はマリが高校卒業すぐ留学、
祖父がアメリカ駐在&モンゴルの駐在員、
母親が思春期に読んだ本がカラマーゾフ、見る映画はフランス映画
ミッションスクール育ちで
作者も幼少期からドイツ神父のいる協会に通う
曾祖父は和太鼓でボレロのリズムを刻むと
元々ハイカラで、日本っぽくない
母親は学校ずる休みしたいと言ったら
私も子供の頃に一度やってみたかったからサボれと言うし
北海道の市営住宅住まいだったのに
北海道にチロル風の家を建設して
防寒対策無視したから大変なことになっているし
飽きることがない生活って感じ
読んでいると面白いけど、
一緒に暮らしたら大変そう
ちょっと風変わりだけど
自分のやりたいことをやっている大人を見て育って
自分もやりたいことを見つけてやってますという内容
マリがヴァイオリンを押し付けられて
「マリは画家になります!」と子供の頃に宣言したけど
イタリアの美術学校に留学した娘に
「どうだい、フランダースの犬暮らしは」
という母親に笑った
画家は貧乏になる、不幸になる、夭折する、の
教材として子供に見せたのが
「フランダースの犬」の本で
画家になるってことはこういうことだ、と
教えている姿に笑う
あながち間違えてないのが、なんともおかしい
ただ、
ほぼエッセイで
たまに漫画が描かれてるんだけど
漫画に描かれている字が筆ペンで書かれていて
半分くらい何が書いてあるんだかわからない
字は読めるように書いてほしい
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●知って得する税金の本
まだ5分の1くらいしか読めてない
手元にあると便利そうな本
●世界のコンサートマスターは語る
雑誌みたいな大判の本
なかなか面白い
まだ少ししか読めてない
薄いのでもっと分厚くていい
●発達性トラウマ障害と複雑性PTSDの治療
読んだ
この人の公演をyoutube出見た
この分野での先駆者のような人らしいが
なかなか面白く信頼できそうな医者に思える
何が面白いって、医者自身が荒野に一人みたいな状態で模索しつつ
革新的なことをしているため
「なぜこれが効くのか理論はよくわからないが
このやり方が効いた」と言っていること。
わかる。理論って基本的に後付けだよね
あ、これは事実だ。この人ちゃんといろんな方法を
片っ端からやりまっくって試し続けた結果を書いてるんだ、と
いう感覚があった
この人の言う
「これからの時代はトラウマの時代になるだろう」と
いう言葉はまるで予言みたい
(ちなみに平成はこの人曰く発達障害の時代だったらしい)
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●トラウマのことがわかる本
作者の白川美也子の本を前に読んで
良かったので
この本もわかりやすくていい本だった
●忘れる技術
精神科医が書いた、いやなことを忘れる方法の本
気持ちは伝わったが
自分の場合、あまり為にはならなかった
いい本ではある
嫌なことを忘れたくて読んでみた
医師二人の本
両方とも猿でもわかるレベルに
優しく書いてくれているのがありがたい
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というか、読めていない本
・ヴァイオリンとヴィオラの小百科
・最上の音を引き出す弦楽器マイスターのメンテナンス
・憧れ ヴィオラとともに
・プリムローズの「ヴィオラ奏法」
プリムローズが頭に入らないのは仕方ないとして
「憧れ」は二回目なのに読めてない
今は本当に本が読めなくなっている
とても簡単に書いてくれているのに
どんな読みやすい本でも厳しい自分の状況
情けない
ヴァイオリンとヴィオラの小百科と
マイスターメンテナンスは
パラ見だけでもとてもいい本
「憧れ」もいい本
だから挑戦してるんだけどな
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わたなべぽん作
私、元々この作者は好きじゃないんです
自署を使って自分をいい人の位置に置いて、友達や知り合いを
相手が反論できないように上手に批判するから。
そういう狡賢さ、卑怯さが私は好きじゃない
なんか嫌な予感がするなーと思って
読んでみたけど、やっぱりいろいろ引っかかってしまった
かなり批判的な内容になるので
この作者やこの本を好きな人は読まない方がいいです
そもそも私はこの人の自己肯定感が低いとは
露ほども思いません
友達も多く(しかし本人は友達がいないと言う)
結婚もしている
自己肯定感が本当に低いなら
結婚できません
だって相手には自分よりも相応しい、もっといい人がいるから
でもこの男を捕まえたい、逃がしたくないと思って
結婚して掴まえるぐらいには強欲。
他の女と結婚するよりも
この人を幸せにできると思ってるってことでしょ?
自分には幸せになる権利があって
逃すもんか!と思って行動に起こすぐらいには積極的
この行動をできることが自己肯定感アリアリの証拠なんだよね
それは最初の部分ですでに出ていた
作者が思う
「自分を嫌いって思うって辛いなぁ」
ん?
このセリフ、自己肯定感が高いから言うんだよ
本当に低かったらそれが当たり前なので、セリフは
「生きることって辛いなぁ」(生きづらいなぁ)になる
自分を嫌いと思うのがなぜつらいの?
それは自分のことが”大好き”だからだ
それを冒頭で客観的に認めている
私は自分のことが大好きで大好きでたまらないから
そんな自分を嫌いと思ってしまうことがつらいって
このセリフはね、自己肯定感がちゃんとある人しか
口から出ませんよ
基本がまず違う
この設定ならば、この土台はおかしいね、
というわけで
あー、やっぱり嘘か、と
しょっぱなから白けた
つまりこれは、自己肯定感のある程度ある人が
本当に自己肯定感がない人を想定して
誰でも持っている自己肯定感がない部分を引き出して
(全方向100%OKの人はいないからね)
客観的に作ってる、と最初に明示している
本は読んでみると
まず印象に残ったのは
本に出てくる人がみんな口を揃えて言う
「ポンさんは優しくていい人」
そして本人が、そんなんじゃないですぅ~と否定する
ここで小さくモヤッ
これ書いてるの、あなただよね?
ユーチューバーの動画とかでも思うけど
駅に設置のピアノのを弾く動画なので、字幕で
「激うまピアノ」
「弾いてみたら観客騒然」
「周りの人を巻き込んで感動の嵐!」
とか煽りをつけてる人がいるけど
これ、君が作った動画で君が編集してるんだよね?と
突っ込みたくなる
動画を見て、観客はたいして感動していなくて
拍手がまばらにパチパチ程度なものが多いので
よく恥も外聞もなくそんな大仰な煽りを自分でつけられたな、と
鉄の心臓っぷりにある意味感心する
あなたは優しいと口を揃えて本人に言う場面も
自分にはこれらと同じに見える
他人が書くならともなく、自分が書くのは
人格的にいやらしいなぁと感じてしまうので
だって、私いい人なんですと自分で声高に言う人が
いい人だったことは経験上ほぼない
褒められたがっている出しゃばりな性格をアピールするものだとして
故意に作品の中でこれを使っているのなら正しいと思うけど
描き方として
自ら損をしてしまう自分
周りの優しさを素直に受け取る自分
の例として記載しているので
これを書いているのは無意識っぽい
多分本当にこの作者は人から褒められたい人なんだろうな
だから本人は否定してますアピールをくっつけたり
あーあ損した、とか、恥ずかしいとか思っている内面も載せて
ちゃんと読んだ人から非難が来ないようにうまく配置している
こういうところが
いつ見ても、計算高くて小賢しいなぁと感じてしまう
それらがあることで、自分を「いい人」の位置に留め置けるからね。
やっぱりちゃっかりしてるわ、この人、というのが印象
本当にいい人と周りが口を揃えて言う人は
周りを含んだエピソードで自分を描く時に
自分を奇行に走る変人みたいに落として描くことが多い
そういえば子供の頃、漫画家の似顔絵は
美人やハンサムな人はピカソや妖怪みたいな面白い絵に
そうではない人は美人やハンサムに描かれているのが通説だった
あれと似てる感じ
ところで、この人が言う母親の印象
「一見人当たりがよく世話好きでテキパキよく働く明るい人だが
時々ご近所と衝突するほど気が強い一面がある」
が、私がこの作者に持っていた印象そのままだったので
(明るく楽しいムードメーカーだが敵に回すと厄介)
なんだ、母親そっくりじゃないか
と思った
子供の頃は本人が「なくしものや忘れ物が多い問題児」というほど
弁当をしょっちゅう学校に忘れる子供だったということで
弁当って忘れるもの?
忘れたとしても年に数回だよね?と思ったので
全く理解できなかった
片付けできないとか
子供の頃の話を見る限りではADD?ADHD?なのかなと思える
「この頃の私はとにかくおっとりしていて」と本人は言うけど
痩せるまでは元汚部屋で90キロ台の人
当時すごく太っていて、部屋は汚く歯も磨かず虫歯だらけで
「私はおっとりしてる」と言ってもなぁ、と
それは言い訳にならないんじゃないかなと
やや微妙な気持ち
学校の机もぐちゃぐちゃ、常に物をなくし、宿題や提出物はやらず
持ち帰るべきものを持ち帰らないのでは
そりゃ親はイラっとするだろう
それで褒められなかった、褒めてと言っても、
褒めるところがない状態では少々難しいかと
あとずっと子供時代を普通のサイズに書いてるけど
過去の書籍を見る限り、
この人は子供の頃からふくよかだったはず
なぜ子供の頃をデブに描かない?
痩せたら自分が昔から細かった気になってる?
それとも高校卒業後一人暮らしまでは超スリム(高身長スリム系に見える)で
いきなり太ったのか?
と読んでいる方が混乱
母親もたんとお食べ、とごはんをよそう人だったし
随分自分を綺麗に描いている気がする
昔の本はちゃんと小さなころの自分を丸々とした姿に描いていた
気がするんだけど。
バイアスがひどいな、と思ってしまう
こういう本だと主観と客観をきちんと分けて
感情の部分は主観
状況は客観
と書かれている場合が多いんだけど
この人の場合は読んだ感覚的に逆のようで
話半分に聞いておかないと
主観で認識が歪んでいたり
盛っている部分がかなり多そう
なんか話も一貫してないと言うか
過去とのズレがあるし
読んでいる時にそういう小さな齟齬というか
昔の本人の発言との食い違いのような
「あれ?そうじゃなかったよね?」と思うことがいくつかあって
引っかかってしまい
この人は虚言癖なのかな、とちょっと心配してしまった
相変わらず食に関しては
手間暇かけてちゃんと作るのですごい
友達いないと言いつつ友達沢山で幼馴染ともいまだに縁があり
(いつも言う友達いない発言も友達からすれば失礼な話だ)
異様に近所の交流関係も多いし
人前は苦手~とか言いながらライブで歌を歌ってるし
夫は面倒な話も聞いてくれるいい人で
(しかも汚部屋で太ってた時からの付き合い)
愛されまくって今だってやりたい放題なんだから
好きに生きればいいのでは
綺麗に終わってるけど
盛ってるのか嘘の部分があるのか
なんか話が歪んでるような
変な本だった
作者のキャラクターとかみ合わない部分が多すぎて
読んでいると体が歪むような違和感がする
どうもしっくりこないなぁ
スッキリもしない
八方美人みたいにコロコロ発言を変えるから
言葉の深みがないのかな
一貫性のなさが気になる
話に齟齬があると
作者の人物像がわからなくなるんだよね
まだ二重人格とか虚言癖と言われた方がスッキリする
人物像がもわーんとしている人の話は
スッと頭に入らない
私は悪くない、あんなにダメダメ怒った親が悪い、
ダメな子でもあんな言い方をせず、愛情をかけられていたら
少しは自分のこと好きになれてマシな大人になっていたはず
というような内容が
読んでて二回ぐらい出てきたけど
確かにそうなんだろうけど
この人の場合はなんか同情しにくい
教師や祖父母からは目をかけられて優しくされていたし
最低限必要な自己肯定感はちゃっかり持ってるからかな
自己肯定感のない人が一番やらないことって
エッセイ漫画だと思うんだよね
日常の切り売り
肥大な自己肯定感、目立ちたがり、意見したがりの精神がないと難しい
やるとしてもや空想(創作)、歌、芝居など
何か別のものに頼ることが多い
でも日常エッセイって、売り物は「自分」だけ
よほど自分に自信がないとできない
または自分の生きてきた環境がネタになる自信がああるか
たいしたことがなくても自分が面白く調理できる自信があるか
ここでもすでに齟齬が出ている気がする
田房永子は一貫して毒親系(とそれにかかわる家族、子育て)を
メインに活動しているので違和感はないんだけど
この人の場合はわかる部分はあれど
うーんと言う気分になる
この毒親系って本人が書きたいと
言い出したものだったのかな?
出版社側の提案?
デビューが書店の話で
明るい日常系で売っていきたかったのなら
毒親物はあまりメリットには感じない
作者の家族にとっても
作者の生活にとっても
ペンネームを周りに知られていたら余計にそう思う
だってこれからは何を書いても
毒親にそだてられた人だと思われ
作者の母親は親戚や知り合いから
今後ずっと白い目で見られることになる
ぽんさんかわいそう、と思う純真な読者が多ければ多いほど
作者の母親の立場は・・・
こんなの、言わなくてもどうなるかわかってるよね
ダイエット物で名前が売れて
雑誌から取材を受ける立場になってからの、コレ
表現者として、これ以上の攻撃手段はないだろう
当然、親の肩身は狭くなる
こういう点でも、私は作者の狡さを感じる
名前も売れてきて
今売れるブーム的な内容だから
売れて金は入るだろうけど
毒親ブームだからっていっちょかみしなくてよかったんじゃないの?
心理的(虐待トラウマ)な内容に
軽い気持ちで触られるのが好きじゃないので
かなり厳しい見方に鳴っているかもしれません
でも客観性を持てず自分かわいそうと
自分上げまくりでこういう本を出すぐらいなら
田房永子に全部任せとけと思う
田房は最初から親と全面戦争態勢だったのと比べて
この作者は今は普通にかかわりがあるようなので
孤独になった親と仲良くしたいのか
この本を通じて親に謝ってほしいのか
親に自分の痛みを理解させたかったのか
なにがしたいのか
正直よくわかんなかったです
世の中はほとんど絶賛だと思うけど
こういう意見もあるということで
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●腹だけ痩せる技術
腹を常時へこませろ!形状記憶するまで!
という内容
面白い
●ネイティブと楽々話せる英会話
再読
いつの間にかこの人、ユーチューバーになっていた
本だけ見ると簡単そうに見えるんだけどなー
実際はとんでもない
●当たり前だけどなかなかできないほめ方のルール
●相手をイラつかせない怒らせない話し方と聞き方のルール
褒めるのも才能なら
素直に受け取れるのも才能
●美バストになる!
再読
読んでいるだけで満足
●アフィリエイトで稼ぐ1年目の教科書
こういうので稼いでいる人いるんだよね
なんとなく好きなことをして悠々自適で暮らしている人というイメージは持っているけど
全く状況が理解できないので
日々どういうことをしているんだろうと思ってみてみた
が、機械に弱すぎて何を言っているのかさっぱりわからなかった
難しい(個人的に)
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うーん
突然のいい子ちゃん路線でした
なんだか違和感
だってこの人、優しい人でもないし
特に性格が良いわけでもないよ
・ビニール傘を買わずに、天気予報を見て
折りたたみ傘を持ち歩こう
プチプラアクセサリーはすぐダメになるから
高いのを大事に使おう
は、当たり前すぎて
やっぱりだらしない人だったんだなと思ってしまった
観葉植物を枯らしまくっていて
多肉植物に出会ったら世話できるようになったと
書かれていたけど、それまでの態度が悪くて
いい話に思えない
どうやって育てたらいいか調べず
ひたすら大量に水を上げていたらしい
ボディソープを止めて石鹸手作りに至っては
断捨離とは真逆の方向
材料は高いし物は増えるし手間もかかる
苛性ソーダは危険物なので、捨てる時に結構な代金が
処分代としてかからなかった?
買うときに身分証明の提示も必要だったと思ったけど
今は違うのかな?
あまり安易にお勧めできるものじゃないし
石鹸作れるぐらい凝り性な人なら
生活全般しっかりしてそうで、
こんな生活改善系エッセイは読まないんじゃないか?
人間関係の部分では、いい人の振りをして
相変わらず言いたいこと言いまくり
自分が反省する材料として相手を下げまくり
毎回思うけど、これちゃんと相手に了承取ってるよね?
自分のことしか喋らない皆に嫌われている出しゃばり同級生とか
彼の背中に隠れた、一言もしゃべらない人見知りの彼女とか
結構悪く描かれてある
大人げない対応に周りの仲間が苦慮した、と言わんばかり
彼女が本当にプライドが高いのか、作者よりも怖がりだったのかは
読者にはわからない
でもプライドが高くて人を寄せ付けないオーラを放ち
プライドが高いゆえに自分からは絶対喋りませんという態度をしている、と
いう風に作者によって解釈されて書かれている
この人に釈明の機会はあるのだろうか、と気になってしまう
何一つ事情も知らず、勝手にネタとして使われているのだろうか?
相手によっては裁判沙汰になりそうだから
そんなことはないだろうと思うけど
それともこの人達は作者がリアルの友人達をイメージして作った
キャラクターであって実在してない?
だったらコミックエッセイとしてちょっと違うと思う
私はあくまで実録として読んでいるので
あとの方で見た目で人を判断するのは止めると
書いてあるけど
あうことになった人に人見知りがいたらいつも以上に頑張っちゃう
自分から話しかけちゃう
空気を読んで気を使っている私凄い!が表現されており
同じ本の中で
ニューハーフに間違われて悲しい、や
喋ってみたら見た目と違って実はフレンドリーで仲良くなれた
というようなことが描かれていて
できているようには思えない
まぁ人は見た目で判断するものだから
そうなるのが普通だけど
(視覚情報に惑わされない人なんていないでしょ)
言った直後からこれか、というガッカリ感はある
親のことも歯磨きのしつけをしなかったと文句を言っているけど
親はまだいい
この人にじかに文句を言えるから
母親は周りに対して
うちの子はわたなべぽんです!と言い振りまいていたら
肩身が狭いだろうが
他人を巻き込むよりマシ
毒親として書くってことは
作者の中でそれもコミだろう
しかしなんだろうね、急なこの田房永子路線
今、毒親関係が売れるからいっちょかみ?
でも毒親というには浅い
子供に無関心なガサツな母でした、
思いやりのかけらもありませんでした、ってぐらいだ
その割には昔の本で、たんとお食べと
ごはんをいっぱい食べさせていた表現もある
自分のやりたいこと新だけやる親だったってこと?
母親の全体像が見えなくてちょっとしっくりこない
なにか作って(盛って?)描いてないかな?
友達は異様に多いし、結婚してるし
しょっちゅう外出してるし
歯磨きはそういう時代だったせいもあるので
(予防歯科なんてなかった)
本人のだらしなさも結構関係している
特に、歯医者を途中でやめて最後まで行ったことがない、という表記
これは親は無関係かなー
今の若い世代以外は
歯に対しては結構悔いている人が多い
太っていただけあって食に対して貪欲で
食事作りを苦にしないところはすごい
そこは本当に尊敬
義母さんからもらったアクセサリーをプライスレス!と
描いたのは正解だったと思う
この人にしてはかなり気を使っている
良好な関係なのだろう
(またはペンネームを伝えており本を見られる可能性が高い)
田房永子も自分の恥部を山盛り描いても
夫婦の夜事情まで暴露しても
義母には手を出さない
当然か
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●55さいからはじめる長い人生後半戦のお金の習慣
タイトルが長いわ
と、真っ先に思った
読んでいるけど、よくある感じの本
こういう本は読んでもなぜか片っ端から忘れてしまう
●シューフィッターの小さな奇跡
小さな店にいる、シューフィッターの資格を取った人達の話
一人の話かと思ったら、何人かの経験談だった
今読み中
●靴で人生を変える
ハンサムウォークという言葉にひかれた
パラ見の時点ではとても面白そう
●足のトラブルは靴で治そう
●足と靴の化学
今どれだけ自分が靴で困っているか、という証明のようだ
これから読む
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と言うか、読めていない本
●きらきら研修医
きらきら研修医リターンズ
きらきら研修医うさこVS奇行ドクター
シリーズ3種
今まだ一巻しか読めてない
しかもまだ最後まで読めてない
ブログを本にしたようで横書きで
非常に砕けた口調で書いてある
私150センチちっちゃくて童顔なの(ハート)
みたいなアピールが真っ先に出てきた時
ああ、はい、ちっちゃかわいいアナタすばらしいですねー・・・
という気持ちになってしまったが
かわいい子ではある
なんだか憎めない
●プリマ・エレガンスの魔法
なかなか良いことが載っている
ダメな姿勢
よい姿勢
の写真が並んで載っているので
違いが分かりやすい
意外にも、とてもいい本
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