-
花キューピットの花籠をお祝いでもらって
軽く一か月以上過ぎたけど
まだ花籠は飾ったまま
というのも
花籠の中に緑の彩りとして入っていた枝が
嬉しいことにずっと元気だから
配達の人から
水を沢山上げてねと言われていたから
毎回たっぷりあげてたけど
それでカビをはやすことが多く
水は少なめにあげた方がいいと気づいた〇年目
いつもは茎がかびて
ダメにしていたことが多かったけど
水を少なめにしたせいか
ガーベラはタンポポの綿毛のようになって
終わりになった
カーネーションは精いっぱい頑張って
3週間目にはあえなくしおれていった
チューリップもこらえていたけど
重力に耐え切れずハラハラ落ちていった
そして、添え物のように刺してあった
五角形の葉っぱがついた茎
これは生き続けている
深緑色のスポンジがしめる程度に
水さえ与えていれば大丈夫
なんとも扱いやすい
名前を調べようとしたけど
見つけられなかった
ちょっと茎に茶色いゴミみたいなのついていて
大丈夫か?枯れてきた?
と思ったら
数日後に小さな葉っぱが増えていて
あれ?ここは3枚だったはず?
ということが起きて
どうやら持ちこたえているだけではなく
増えていると気づいた
今では花籠一杯になるくらい増えてくれと
希望を持って育てている
この葉っぱたち、
元の場所から違う位置に刺したら
葉っぱの向きを太陽を追うようにさりげなく
変えてきた
なんという、ちゃっかりした性格
いや、いいよ
そのくらい貪欲なのがいいよ!
その調子でがんばれ
それにしても、君達は誰だ
と成長を見ながらずっと思っている
にほんブログ村PR -
通販で買っても失敗して
店で買っても失敗する場合
どうすればいいんだろう
そもそも服を失敗したと思ってるのは
本当に失敗なんだろうか
失敗した気持ちにはなっているんだけど
何を失敗だと思ってるんだろう
わからなくなってきた
正直服を買って
これ大正解ー!と思ったことが
ほとんどない
ううーん?
まぁいいか?
ぐらいの気持ち
基本いつも後悔してる気がする
でも服って
失敗したかなぁ
これでよかったのかな
物足りないなぁ
なんかこれにこの値段って高くない?
ぐらいの方が
長く使えてる気がする
買った時に充実感があるものは
ガツンとくるものは
着回しができないものが多いようなイメージ
難しいな
にほんブログ村 -
はやらせようとしているみたいだけど
なんかよくわからない
ジョガーパンツと股引(ももひき)の違いはなに?
似てるんだけど
股引+ジーンズ=ジャガーパンツ
という認識でいいのかな
スパッツ+ジーンズ=スキニージーンズ
だもんね
スパッツはレギンスという名前に
今はなっていたっけ
名前変えただけで同じなんだけど
最近オーバーオールっぽいけど
素材が女子っぽいものとかも出ていて
それ後ろ姿結構みっともないのに大丈夫か?と
他人事ながら心配になってしまった
ガウチョ(ワイドパンツ)も足短く、尻が大きく見える
スカーチョも尻が大きく見える
サロペットには色気がない
今はこれ!
これを着ればお洒落達人!みたいにやってるけど
そもそも来ている物がお洒落かどうかなんて
誰が決めるの?
とオシャレ推薦している本を読んでいて思う
まずあなたのワードロープ見せてもらわないと
あなたが本当にオシャレなのか
読者には判断できん
あの人素敵と思えるのかどうかは
人それぞれだもんね
え?これがお洒落なの?と
理解できずに引くかもしれない
オシャレが全く分からない自分だが
でもあの人綺麗だな、いいなと
思える人はたまにいる
要はその人に合っていれば
いいなと思うんだろうな
それは右に倣えして
手に入るものではないんだろうな
その人の雰囲気と
合ってるかどうかだから
サロペットをとてもかわいく
着こなす子もいて
その子はいいなと思えるんだと思う
自分はオーバーオールを見ると
大草原にあるような家や牧場で
藁の積み上げを行っている壮年男性やその孫の
イメージが出てくる
なんとなく、麦わら帽子をセットしたくなる
もしくは車の修理工のイメージつながりで
DIY大好きな人
髪をきゅっと一つ結びしても
オシャレに見える人と
ただ結わいただけに見える人いるよね
自分は後者だけど
前者を真似しようとしても無理なんだよね
頭蓋骨と髪質の問題だから
オシャレとセンスないの差は紙一重な気がする
股引ジーンズは180センチ以上なら
着こなせると思う
にほんブログ村 -
さっきのことで何が言いたいかというと
少し諦めてみたらいいんじゃないの?
ということ
わからせてやるという気持ちを諦める
相手を100%理解することを諦める
(自分の尺度で物を考えるからそもそも無理)
分かってもらいたいという気持ちを諦める
相手がこう動いてくれたらいいのにという期待を諦める
理解し合えるという幻想を諦める
自分もできてないので
言える立場ではないが
多分色々なことを諦めた方が
楽になれると思う
色んな意味で
諦めるというのはいい言葉で
すごく痛いし悲しいこともあるけど
諦めたら次新しいことに動き出せたりする
物事を始める前の状態になるって
ことだから
一つが終わったら
否応なしに何かが始まる
でも相手にそういうのを期待する前に
自分がやらないと、と返される言葉も
簡単に想定できる諸刃の剣
自分も早くちゃんと諦められるようになりたい
とは思うものの
確かに諦めは寛容に似てるけど
相手を見捨てた場合もほぼ同じ態度になるんだよね
とも思う
心づもりは正反対なんだけどね
ある程度相手の意見を聞いて
ある程度自分の意見も伝えて
我慢がイーブンになるように互いに譲歩、理解しながら
どうやっても交わらない部分は諦めるってことか
すごい高等技術
にほんブログ村 -
FtoMとかなんか色々
新しい名前作っては
分類するだけして
訳が分からなくなってきている
あの業界
LGなんとかTだっけ?
あの4文字のアルファベット嫌い
Lから先を覚える気はない
嫌いになったのは
人権屋がいいものみつけたとばかりに
出しゃばってくるようになったから
性的嗜好なんて
会社では必要ないのに
聞きたくない人に無理やり聞かせて
認めろとか
拒むことも許さないなんて
暴力でしかない
人権という皮をかぶった恐喝行為だ
人権屋って日本人ではない方が
多い気がするんだけど
(国瓦解目的で潜入してる
内部工作員のイメージ)
どうなんだろう?
少なくとも
本当のその道の人の中には
迷惑している人もいると思う
まるで自分がそれらの代表で住みたいな顔をして
活動をしているから
ずっと思ってるけど
戦争をなくしたいなら
まず世界を平和にしたいなんて
身勝手なことを願うのを止めることだ
本当に平和にしたいなら
相手に服従すればいい
侵略されても黙って奴隷になり
家族や国民を虐殺されても怒らず
じっと耐えていれば
少なくともそこでは戦争は起きない
自己を捨ててひたすらに
踏みにじられることを許すのならば
人間って基本利己的でしょ
自分や自分の大切な人
自分の国に危害を加えてほしくない
まずそれを守りたい
自分の安全が確保されているなら
心の余裕の分他人の幸せを祈れる
戦争なんてやってもいいことないんだから
止めてくれと思う
どこかが戦争してこっちに飛び火が来ても嫌だし
誰だって
自分の命が大変な時に
他国の戦争に口を挟む余裕はない
自分が平和を願っているから
平和になれなんて
身勝手でしかない
正義はそれぞれの主張の中に組み込まれていて
それが正義だと思うように教育を受けてきて
違うと言っても
あなたは違う教育を受けたから
分からないんだと言われればおしまい
自分達を守るために
戦っているんだろう
みんな
平和を願うから戦争があるんだよ
戦争があるから平和にならないのではない
考え方が逆だ
差別反対のNPOもそうで
差別がないとその団体は存在できないから
意地でも差別になりそうなものを
探し出し差別認定する
そのことにご執心になる
でないと、団体存続できないもんね
でも一番いいのは
それを差別だと
認識する人がいなくなること
これは差別だ
あなたは差別されてるんだという認識を
植え付ける人がいなくなること
そういう教育を施していくこと
これは相当な月日をかけてしていくことだから
一朝一夕にはできない
しかもガンジーみたいな人が中にいないと
無理だろう
でもじっくり時間をかけていくのなら
不可能ではないと思う
多大な苦労と忍耐が双方に必要だけれども
つまりNPO団体とかは全部消えた方がいい
本当に差別をなくしたいのならば
差別反対のNPO団体とかは
差別を生み出したいから
差別意識を自分達にも周りに
強烈に植え付けておきたいから
存在している
あの4文字をLと
頑張っても最後のTしか覚える気はない
もう「種別:人間」でいいじゃん
区分けめんどくさい
何で見たのか忘れたけど
おかまの人のドキュメンタリー?を見たことがある
その人は自分のことを
昔ながらのおかまと言っていた
本人が言うんだからそうなんだろう
二丁目に店を持っていて
ママさんをしていて
客と楽しく会話し
家では小さな仏壇に手を合わせて
なんというか、
口が悪いところもあるが
思いやりのある立派な人だった
(人間的に)できた人だなーと思って見ていた
見ていた内容だけで判断するなら
自分よりも断然立派だった
映ってないところは知らないけど
人格的に優れたところがあれば
人は自然と尊敬するし
身勝手になれば離れていくだろう
いい人がこの先もずっといい人かは
限らない
ある人によってはかけがえのない素晴らしい人でも
ある人にとっては最低最悪な人かもしれない
人間の価値は少しも一定じゃないし
一か所には留まらない
人を理解するのは
自分の中にある常識だから
相手が自分の常識とかけ離れていたら
認められないことはある
無理やり認めなくてもいいんじゃないの
つかず離れずでいればいいんじゃないの
理解できない相手とは
衝突を選ぶのではなく
疎遠を選んでもいいんじゃないの
心の中にズカズカ踏み込まれたら
心を思うように動かそうとされたら
人はそれをしようとする人を嫌になってしまうよ
自分が輝ける場所にいて
他の場所では静かにしたり
相手の領域をそっとしておいたり
多少のことは見て見ぬふりをしたり
言葉を尽くしても
理解し合えない人や場所からは黙って遠ざかったり
そういう騒乱を避けるやり方も
優しさや思いやりの一つじゃないのかな
にほんブログ村 -
毎回ちゃんと調べてるんだけど
きちんとチェックしてるつもりだし
実際購入前は
それ以上のことを思いつかないんだけど
脇が甘いんだよね
いつもいつも
後からナイスな情報に気づいたりして
同等の商品をもっと安く買えたとか
そういう小さなこと
小さなことだけど地味に凹む
情報弱者っぷりが半端ない
っていうかひどい
今年に入ってから
なんというか色々タイミングがひどくて
何かやっては落ち込むことばかり
けど、それも少し前に
明けたと思ったんだけどな
もう明けてるはずなんだけどな
悲しい
にほんブログ村 -
顆粒になっている紅茶
懐かしい!
久しぶりに飲んでみたら
まぁ甘い
素朴な味で懐かしい
しかし甘い
なんだか似た味を知ってるなぁと思ったら
「純露」という
長細い5角形の、不思議な形をした飴と
味が似てると気づいた
あれもひたすらに甘かった
美味しいと思ったことはなかったけど
なぜかよく家にあって
たまに食べていた気がする
レモン汁があったので
加えてみたら
甘さが一気に控えめになって
飲みやすくなった
でも砂糖は甘いと思った時と
同じ量がそのまま入ってるわけで
商品の一番多い材料は
当然のように
「砂糖」
なわけで
レモン汁のなんと強力なこと!
甘さを吹き飛ばすこの威力
そういえば
ミルクティーは砂糖なしでも飲むけど
レモンティーは砂糖入れないで
飲んだことはなかった
大昔の少女マンガでは
部活の後のマネージャーの差し入れは
砂糖をかけたレモンが定番だった
今はそんな描写見ない気がする
クエン酸と糖類は
理にかなってると思うんだけどね
なんて思い出まで蘇らせる
味の変わらなさ
同じものを作り続ける企業っていいね
にほんブログ村 -
良く穿いているジーンズがbobson
いい感じに色が抜けてきて
布もくったりしていて
結構好き
穿きやすいので
長年愛用している
愛用しているうちにボブソンが
なくなってしまった
これは大事にせねば
と思っていたら
2012年に復活していたんだね
知らなかった
商品数少なめだけど
なかなかいい感じのジーンズ販売中
いいね
こういう普通のストレートジーンズが好き
うちにあるこのジーンズ
いつ買ったものかなぁ
寝かせていた時代も含めて
かなり育てている
私は昔から60歳まで着られる服を
買う基準にしていることがあるので
持っているジーンズも
いたってスタンダードなもの
ボブソンは生地が頑丈だけど
柔らかめで好きだった
ボブソンはちゃんと丈が
インポート商品並みに長めなのもよかった
レディース系おしゃれブランドは
インポートほどの長さがないことが多くて
困っていたから
76センチとかね
昔はこの妙に短い長さにかなり困らされた人
結構いたと思う
長かったら切ればいいんだから
短く作らないでーと
思った思い出
にほんブログ村 -
・なんやかんやしょっちゅう買い替えしてる
物は大事にした方がいいと思う
・ミニマリストを名乗る人がほぼ似たインテリアになってる
右に倣えで真似したみたいに個性がない
もっといろいろなタイプが出てきてもいい
・洋服は少数精鋭や制服化
常に同じ服で貧乏っぽく見える
(ジョブズやエレカシ宮本のように同じ服を何個も持つのは
男性ならまだセーフだけど女性は微妙)
若い時は安物を着ても若さで着こなせるんだから
色々な服を若い時に楽しんだ方がいい
若さが勿体ない
・台所を綺麗にするためや冷蔵庫廃棄で食事がおろそかになる
本末転倒のような気がする
・全てを捨てて箱のような部屋に住む
箱になると部屋が逆に狭く見える
綺麗な独房のようで味気ない
ミニマリストって意外と
パイプなどの痛そうな椅子に座っていることが多い印象
体に悪そう
尻や体に圧迫痕ができそう
なんてことを思って、思い出した
人生の楽しさは無駄から生まれる
娯楽って無駄なことなんだよね
無駄で無意味だ
ネイルも髪のカラーリングも、食べるためにしているのではない釣りも
漫画や小説、ドラマも
美味しいと感じる食事も
全部全部ないと命にかかわるかと言われたら違う
もっと削れるし、人生の中でなくてもいいものだ
腹を膨らますだけなら米に味なんていらない
白米をそのまま食べればいい
ただでさえ米は甘いんだから
そもそも食事に美味しさを求めること自体が無駄だ
栄養を取れればいいんだから
勿論ここまで極限的にしている
ミニマリストの人は一部で
実際はうまく取り入れている人が大半だろうけど
ミニマリストの究極は
ただ息さえすればいい
とりあえず生きていればいい
になってしまう気がする
もうちょっと色々なことをしても
色んなものが手元にあっても
いいんじゃないかな
昔そういう映画があったよね
持ち元を自分の着ている物まで全部無くして
毎日一つ倉庫から預けている物を持ち帰るという
海外のドキュメンタリー映画
彼女ができて文化的な生活をしようとしたら
どんどん物が増えていった
ミニマリストは禅の考えからきているらしいけど
禅僧は俗世と縁を切ってるからなぁ
にほんブログ村 -
●片づけられない捨てられない夫を変えて
汚部屋がキレイになりました
コミックエッセイ
初めて読んだ人だけど嫌いじゃない
私は捨てられない方なので
「妻のルールで片付いているリビングに手が出せない」
と口にした夫の気持ちがよくわかる
ブルドーザーみたいに
追い立ててやる掃除の仕方が忙しなくて大嫌いなので、
(大騒ぎしながらやることで、
私を怒らせたお前が悪いんだと
周りに本人の不快な気分をアピールしてるように感じる。
ケンカを吹っかけてるみたい)
さっさとやれ、私の理想通り動けと
背中を槍でつつかれる
この妻の元々のやり方も無理
妻がうるさく言わなくなったから片付ける気になったって
真理だと思う
私のペースで動けと命令されるのは
やる気がなくなる
相手のことを考えて
相手をしっかり巻き込んだ収納の本は
初めて見た気がする
今まで読んだ大体の片づけ本が
見て、私のこの収納の完璧さ!
見て、この私の実力を!
みたいに
結構一人が勝手に突っ走ってて
相手の入るスキがない
むしろ触ってくれるな、
完璧に作ったんだから壊すな
ひたすらに褒めろ
みたいな気合いを感じていたなーと思った
それまでの本は、相手も同じ場所を
片づけをすることを
想定していないような印象を受けてた
一時ボックスがいくつもあって
それが引き出しや
収納の中の一部だというのも
個人的にいいと思えた点
いつも「一時ボックス作りましょう」を
見るたびに
一時ボックスを買ったら
その分物が増えるやん!と
思っていたので
引き出しはいい案だなーと思った
わたなべぽんはいいことを言っていても
なぜかイラっとくるけど
この人はあまりイラっとこない
ただこの人のDIYは
なにがいいのかわからなかった
●そこそこ片づけ術
物をつるしまくりで全然片付いてない
ごちゃごちゃしているし
元の写真が綺麗すぎて
片づける必要なしの状態なので
良さや変化が見えない
むしろ籠とか余計なものを増やして
掃除の手間を増やしたような感じ
籐の籠って目が細かくて掃除嫌じゃない?
そのくせ完全密閉じゃないから
中にまで埃が入るし、下手すりゃカビるし
扱いにくくていいことないと思う
●お金がどんどん増える人、お金がたちまち消える人
納得できること
微妙に思えること
色々
電気代節約でエアコン使わないって
使わないエアコンに何の意味があるの?
という文は納得
でも電子マネーはあまり使いたくない
知らぬ間に約款変えられたり
しばらく使うタイミングなかったら
期間消滅で残高がゼロにされていたことが
あったので、もう嫌なんだよね
電子マネーの種類によっては
支払う場所も制限されるし
毎度毎度勝手に付け足される約款を
隅から端まで完璧に読み込むのは
自分には無理だ
その管理や明細と自分がした支払いを
チェックしている分を考えたら
電子マネーやカード=時間短縮
とは思えない
●英語がペラペラになりました1,2
コミックエッセイ
個人でイギリス留学した人の話
勉強家だねぇと感心
知らないことがあって面白かった
●きれいな食べ方BOOK
たまに本当?と思うものがある
●新・大人のマナーブック
オレンジページの本
たまに自分の思っている常識が
他の人と大幅にずれていないか
心配になる時がある
それにしても、常識って
いつ誰が作っているんだろう?
にほんブログ村